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戦後80年、当時の腰痛治療。

「2025年は、終戦から80年の節目の年です」

戦後80年。どの時代も腰痛がないことは決してないと思います。戦時中の腰痛とその治療法を振り返りましょう。私たちの生活や医療技術は大きく進歩しましたが、今なお多くの方が悩む腰痛は、戦時中や戦後直後の日本でも深刻な健康問題のひとつでした。

「戦時中の腰痛。過酷な環境が原因に」

戦争中、日本国内では男性の多くが徴兵され、残された女性や子ども、高齢者が工場や農作業、物資の運搬などの重労働を担いました。また、都市部では空襲の後片付けや物資の配給作業、疎開先での農作業など、日常生活自体が肉体的に大きな負担となるものでした。

一方で、軍隊に所属した兵士たちも、重い装備を背負っての長距離行軍、野営生活、寒冷地での作戦などにより、慢性的な腰の痛みを訴えるケースが多く見られました。現代でいえば「筋・筋膜性腰痛」や「椎間板性腰痛」、「ぎっくり腰(急性腰痛)」に相当する症状だったと考えられます。

「医療の限界と民間療法」

当時の日本は戦争の影響で医師不足・医薬品不足が深刻で、整形外科的な専門治療を受けられる人は限られていました。レントゲンやMRIなどの画像診断は当然なく、「痛みがある=しばらく安静にする」ことが基本方針とされていました。そんな中で多く利用されたのが、地域に根付いた民間療法や伝統医療です。

「鍼灸・あん摩・柔道整復」

もぐさを使ったお灸で腰を温めたり、筋肉の緊張を緩めるあん摩(今のマッサージ)などが一般的でした。一部では柔道整復師による手技療法(いわゆる「骨つぎ」)も行われており、骨折や脱臼だけでなく、腰の不調にも対応していました。

「温罨法(おんあんぽう)」

湯たんぽや味噌、生姜、塩などを温めて腰に当てる方法も広く行われました。現代でいう温熱療法に近く、血行をよくして痛みを和らげるという考え方がすでに存在していたのです。

「腰巻き(晒しや布)」

現代のコルセットに似た役割として、腰を晒し(さらし)で巻いて固定し、負担を軽減する工夫もされていました。

「現代との違いと見直される知恵」

戦後、日本は医療技術やリハビリテーション医学の飛躍的な進歩を遂げ、腰痛に対する理解と治療法も大きく進化しました。MRIによる診断、姿勢や動作の解析、ストレッチや筋トレによる再発予防など、多角的なアプローチが当たり前となっています。

しかし、戦時中に使われていたお灸や温熱療法などは、現代でも有効性が科学的に認められています。例えば、慢性的な腰のこわばりに対しては、温めることで血流が改善し、筋肉の緊張がやわらぐことが分かっています。また、手技によるケア(マッサージや整体)も、筋膜リリースや神経への働きかけとして高く評価されています。

「今こそつながる医療として活かす」

戦時中の人々は、医療資源が乏しい中でも「手当て」や「体を温める」といった基本的な知恵を駆使して腰痛と向き合ってきました。その姿勢には学ぶべき点が多く、現代医療と手技療法が連携するつながる医療のヒントが隠されています。

戦後80年という節目に、今一度、自分の身体に耳を傾け、腰の不調とどう向き合うかを考えてみてはいかがでしょうか。私たち整骨院では、そんな皆さまの健康管理をサポートできる存在でありたいと考えています。

 


★野毛整骨院の場所★

住所:神奈川県横浜市中区吉田町64-1

吉田町商店街の吉田町本通りにあります。老舗鶏肉専門店「梅や」さんの向い、ミニストップの隣です。

桜木町駅と関内駅、日ノ出町駅と馬車道駅を結んだのちょうど真ん中、大岡川沿い都橋からすぐの場所です。

横浜市庁舎、伊勢佐木モールからも徒歩圏内です。


★交通事故治療★

当院では交通事故によるケガの治療も行っています。(自賠責保険)

交通事故によるトラブルについては「無料で相談できる弁護士さん」を紹介することも可能です。

お気軽にご相談ください。


 

腰痛 坐骨神経痛 なら桜木町 関内の整骨院

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